善は急げ・思い立ったが吉日
前回取り上げた「急がば回れ」と、一見相反するようなことわざがある。「善は急げ」や「思い立ったが吉日」である。よく使われることわざなので、ご存じの方も多いであろう。それぞれ、「良いことは、思いついたらすぐ実行せよ。」「何かをしようと思ったら、その日が最良と思って、すぐに取りかかれ。」という意味である。
「善は急げ」の語源は、「善は急げ、悪は延べよ」という、仏典の言葉とされている。従い善とは、もともとは、宗教的・道徳的な善行を指していた。それがやがて、自分にとって良いことや、自分が良いと思ったこと全般を指すようになったようである。
「思い立ったが吉日」は、16世紀中期の謡曲「唐船」に由来する。ここに、暦における吉日、すなわち縁起の良い日を待つのではなく、自分が思い立った日を吉日として、思い切って船出しよう、という一節がある。その意気や良し。この一節が人々の共感を呼び、語り継がれる中で、ことわざとなって定着したようだ。
「善は急げ」も「思い立ったが吉日」も、明らかに迅速な行動を促している。その意味では、「急がば回れ」と確かに反対だ。ではこの一見矛盾するような関係、どう解釈すればいいのだろう?
ここを紐解くために、これらのことわざの意味を深掘りし、はたしてどんな知恵が含まれているのか、読者の皆様と共に考えてみたい。
まず、行動に移すこととは何か?それは、自分が良いと思ったことや、自分がやろうと思い立ったことだ。人から言われたことではない。自分の中からふっと出てくる何かである。何かとは、直観やひらめきと言っていいかもしれない。
直観もひらめきも、ある時突然現れ、すぐ消える。このような瞬間、誰もが経験したことがあるだろう。そして、あれもこれもと考え出すと、かえって動けなくなることも。なぜぱっと行動に移した方がいいのか?その理由は、この辺りにあるように思われる。
こう掘り下げてくると、「善は急げ」と「思い立ったが吉日」に含まれる知恵が、次第に明らかになってくる。私なりに言語化すると、こんな感じだ。「直観やひらめきは、忘れぬうちに即実行」「今やりたいと思ったことは、今やろう」「ん?ときたらぱっ!」
ちなみに英語圏には、Strike while the iron is hot.(鉄は熱いうちに打て)や、There’s no time like the present.(今ほど良い時はない)ということわざがある。両方とも、「よし、今やろう!」と思わせてくれる、力強い表現だ。
ではこれら古今東西の知恵、どうすれば実践できるのだろう?
私は、前回考察した「急がば回れ」に、その鍵があるように思う。鍵とはそう、目的地までの過程を楽しむ、という知恵である。どういうことか?
過程を楽しもうと思えば、ちょっと深呼吸して、自分の気持ちを感じる余裕が生まれる。気持ちに余裕があれば、ふとやりたいと思ったことを、すぐ行動に移すことができる。そしてそんな行動をしていると、さらに過程が楽しくなり、気づくと目的地に着いている。
つまり、「急がば回れ」の実践が、「善は急げ・思い立ったが吉日」の実践を可能にし、その実践がまた、「急がば回れ」の実践につながるということである。そんなことが?と思われた方もいるかもしれない。しかし何を隠そう、私自身が今まさに、このような循環を経験中なのだ。そしてこの楽しい循環が、思考の現実化の過程そのものではないか、と感じ始めている。
こんな気づきを、超コンパクトに言い表しているような格言がある。Festina lente(フェスティナ・レンテ)というラテン語で、英訳はMake haste slowly、和訳は「ゆっくり急げ」である。この矛盾する表現の中に含まれる知恵とは、もしかしたら、いつも気持ちはゆったりと、でもひらめきは急いで実行という、思考の現実化に必要な心得なのかもしれない。この格言、「悠々として急げ」という和訳もあるが、さて皆様ならどう訳し、どう解釈されるだろうか?
